さくらんぼについてのブログ①
2021年10月29日
サクランボは有史以前から食べられていた。セイヨウミザクラ(甘果桜桃、Prunus avium)はイラン北部からヨーロッパ西部にかけて自生していた。また別の種であるスミミザクラ(酸果桜桃、Prunus cerasus)の原産地はアジア西部のトルコ辺りである。
原産地の推定は、1世紀の古代ローマの博物学者プリニウスが著書博物誌に書いた説明に基づく[1]。これによると、古代ローマの執政官ルクッルスが第三次ミトリダテス戦争で黒海南岸のケラソス(Kerasos、現在のトルコギレスン (Giresun) )近くに駐屯した際、サクランボの木を見つけ、ローマに持ち帰ったという。サクランボの木が属するサクラ亜属の学名Cerasusは、ケラソスのラテン語表記である。なお、逆にサクランボにちなんで町の名が付けられた可能性もある[2]。
ただし、イギリスで青銅器時代のサクランボの種が発掘されていることから[3]、19世紀のスイスの植物学者アルフォンス・ド・カンドル (en) は、ルクッルスがコーカサスから持ち帰ったのは、セイヨウミザクラの一栽培品種だったとの仮説を述べている[4]。
この二品種は黒海沿岸からヨーロッパ諸国へ伝わり、特にイギリス・フランス・ドイツで普及した。名称がノルマン人によってシェリーズ (cherise) となり、イングランドに渡ってシェリー (chery) となり、英語のcherryになったといわれている[2]。16世紀ごろから本格的に栽培されるようになり、17世紀にはアメリカ大陸に伝えられた。
一方、中国には昔から華北・華中を中心に、カラミザクラ(シナノミザクラ、支那桜桃、 Prunus pseudocerasus)がある。口に含んで食べることから一名を含桃といい[5]、漢の時代に編纂された礼記『月令』の仲夏(旧暦5月)の条に「是月也,天子乃以雛嘗黍,羞以含桃,先薦寢廟」[6]との記述がある。江戸時代に清から日本に伝えられ、西日本でわずかに栽培されている[7]。これは、材が家具、彫刻などに使われる。暖地桜桃とも呼ばれる。「桜桃」という名称は中国から伝えられたものである。
セイヨウミザクラが日本に伝えられたのは明治初期で、ドイツ人のガルトネルによって北海道に植えられたのが始まりだとされる[7]。その後、北海道や山形県を初めとする東北地方に広がり、各地で改良が重ねられた。